こんにちは。松川峰子です。

私は、5年間オンライン秘書1をした後
今は、現役の客室乗務員をしながら
オンライン秘書養成講座を運営しています。

私はフリーランス秘書という働き方に出会ったことで
大げさではなく人生が180度変わりました。

・地獄の満員電車からの解放
・通勤にかかっていた2時間が自由時間に
・人間関係のわずらわしさやストレスからの解放
・平日の昼間に友人とランチ(2時間とか長めでもOK!)
・2時間とか長めのランチ
・外出先のカフェで仕事(お気に入りのカフェで仕事)
・仕事の合間にヨガ(リフレッシュ!)
・仕事と家事・育児の両立が楽々
・好きな時に愛媛に帰省し、母の介護
・毎日子供たちに「おかえりなさい」と言ってあげられる生活
・ワークライフバランスが整って精神的な余裕が生まれる

私がしたかったことが、
次々と実現しました。

時間と場所に縛られない
この働き方をすることで
精神的にも体力的にも余裕ができ
ワークライフが整ってきた!と
身をもって実感しました。

・好きな場所で働いて
・好きな人たちと働いて
・働く時間も減って
・満員電車や人間関係の
・ストレスから解放されて

働く時間は半分に減って、報酬はそのまんま。

勤務時間は
前職の約半分の1日4.5時間くらい。

フリーランス秘書
という働き方に出会う前の私は

・シンママのため、やることが多くて自分の時間が全然ない
・都内の激混み通勤電車で、出社前にすでに疲れている
・通勤時間、最長で往復3時間半(最短で往復2時間)
・先輩秘書からの無視や冷たい態度でストレス抱える
・仕事が忙しくランチをまともにとれない日も…
・電話が鳴るため、ずっとデスクにへばりつく
・忙しくて趣味の時間を持つことができない
・心身ともに疲労困憊で週末は起き上がれず寝込む
・育児と仕事の両立で悩んでいた
・愛媛に住む母の遠距離介護でも悩む
・子どもが起きる前に出勤、寝てから帰宅
・子どもの状態が把握できなくて心配

そしてついに

「もうこれ以上は無理だ…」
「1mmも頑張れない…」

プツン
と頑張りの糸が切れました。

心も体もボロボロで
これから先どうやって
私は生きていけばいいんだろう…

将来が不安で不安で
仕方なかった私でした。

そんなある日

大学の先輩からの一言が
私の人生を変えることになりました。

「アメリカでは、20年前から秘書は
フリーランスでやってるよ。」

すごく衝撃的でした。

「え?????
秘書がフリーランス????」
どうゆうこと????」

その後、私は試行錯誤しながら
フリーランス秘書として独立しました。

そして、
フリーランス秘書になったこと
を境にして

私の人生はガラリと変わりました。
もちろんいい風に、です。

私は
このフリーランス秘書という
働き方は実現する、叶う!
ということを経験してきました。

そして
ひとつの働き方の選択肢として
この働き方を必要としている人に
伝えていきたい!という思いから

2021年1月から
オンライン秘書 養成講座
をスタートしました。

「女性が人生を諦めなくていい世界をつくる」

これが
私の根本的に作っていきたい世界です。

元受講生の方が、この働き方を通して
何かを諦めることなく手放すことなく
仕事もプライベートもバランスよく
充実した日々を送っている姿。

私にとって、
とても嬉しいことです。

そして私自身も
人生を諦めず前進しています。

フリーランス秘書として
働いて5年が過ぎたところで
子どものころから憧れてたCAに
47歳からチャレンジしました!

子どもたちが成人し手が離れたので
フリーランス秘書の仕事を卒業して
今はCAとして働きながら
オンライン秘書として仕事をしたい
方々のサポートをしています。

平凡なシンママが
どうやって?
自分のやりたいことを全部

・叶えられるようになったのか?
・諦めずに実現することができるようになったのか?
・理想のライフスタイルを手に入れたのか?

私の物語を読んでいただけると
ヒントになることがあると思うので
ぜひ最後まで読んでくださいね。

松川峰子の物語

愛媛県の田舎町で母一人子一人の家庭で育ち、自己肯定感が低くて人に頼れない人に

「峰子さんって、
特に悩みもなく順風満帆に
生きてきたように見える」

私は、そんな印象を
持たれることが多いです。

きっとそれは
心の闇やコンプレックスを隠すのが
とても上手だったから。

小学校一年生の時の担任の先生は
母子家庭の子どもを受け持つのは初めて。

先生は不安だったのでしょうか…
入学前に母と個人面談をしたそうです。

それくらい私が生まれ育った町で
母子家庭というのは珍しいもの。

「私は、
生まれてきたらいけない子
やったんかな…」

近所のみんなとは違う
お父さんがいない家庭環境に
生まれた自分に疑問を持ち

自分の存在を
否定しながら過ごしました。

私は保育園に二日に一回お泊りし
小学校に上がると、母の喫茶店で
夕飯を食べた後は一人で過ごしました。

一人でお風呂に入ってテレビを見て
パジャマに着替えて布団に入り、
窓から見える近くの大学病院の街灯の
あかりを数えながら眠りにつきました。

いつもひとりぼっち。
なんかすごく寂しかった。

「これ飲んだら死ねるんかな…」

6歳くらいのころ
母にバレないように
台所に置いてあった風邪薬を
たくさん飲みました。

今でも覚えていますが
この世から消えてしまいたい
って思ったんですよね。

なんか生きている意味が
よく分からなかったんです。

「あれ、生きてる…」

朝、目が覚めて、思いました。

「これ飲んでも死ねんのや…」

もちろん、風邪薬なので
いつもと同じ朝が来ました。

愛されるという経験をせずに育ち
楽しいと感じることもなくて
生きてるのがしんどかった。

いつもひとりで孤独を感じてて
生まれてこなかった方が良かった
んじゃないかなって思ってた。

近所に住む年上のいとこたち
私を馬鹿にして意地悪だった。

「私は必要ない子なんや…」
「自分が悪いからやろうな…」
「生まれてきたのがいかんかった…」
「どうせ私は…」
「私には無理なんやろうな…」

ネガティブワードの
オンパレードでした。

自己肯定感の低さや劣等感を
誰にも打ち明けることができない。

人に頼れない。

一人で抱え込んでしまう。

全部自分で解決しようと
頑張ろうとしてしまう。

自分を認めてほしいから。
愛されたいから。

心の中の闇をずっと握りしめたまま
幼少期を過ごし、大人になりました。

大学は奨学金を借りて、
興味のあった国際関係学が
学べる大学に入学しました。

話が少し脱線しますが、
幼いころからの私の夢は
国際線のCAになることでした。

そのために英語の勉強も頑張ったし
交換留学でアメリカにも行ったし
大学も国際関係学を選びました。

大学の時は
アルバイトをして20数万円貯めて
エアラインスクールにも通いました。

ですが、残念なことに
私が大学を卒業した2000年卒は
就職氷河期のためCA募集がゼロ。

挑戦すらできない
悔しさを味わいました。

このままでは
就職先がないまま卒業になってしまう!?
まずい!!

親に頼ることができないので、
何が何でも就職先を探さなくちゃ…。

秋の第二次募集で募集をしていた
IT系会社のコンサルタントのグループ秘書
ポジションで内定をいただきました。

就職をきっかけに
卒業後は東京に上京しました。

ずっとなりたかったCAの仕事。
社会人1年目が終わる少し前に
募集が出たので応募しました。

内定をいただいたものの
方向性が合わなくて内定を辞退。

そうこうしているうちに
結婚と出産をして子育てに
専念する流れになりました。

子育てがひと段落したときは
40代も半ば。

「40代のCA未経験ではかなり難しい」
これが、日本の社会の一般的な意見。

「私がCAになるのは今世では無理だな…
今度生まれ変わったら絶対になりたい!」

新卒で挑戦できなかったときの悔し涙。
そして、二度目の悔し涙を流しました。

ワンオペ育児と仕事の両立の大混乱

24歳で結婚した私は

26歳のときに長男
27歳のときに次男
を出産しました。

社会人2年目の春に転職していた
外資系証券会社で産休と育休を
2回とりました。

長男が生後7ヶ月のときに
次男がお腹にいることが発覚。

職場復帰と同時に、
また数か月したら産休いただきます…
という気まずさを持っての職場復帰。

妊婦でつわりがある中で
満員電車に乗っての通勤。

0歳の長男は夜泣きをするため
私は毎日睡眠不足で意識もうろう。

時短勤務をさせてもらってたものの
保育園の送り迎えは毎日バタバタ。
帰宅してからが、また戦争…

帰宅後すぐに着替えて髪の毛を結び
グズる子どもをおんぶひもでおぶる。

背中でグズっている子どもを
上下に体を揺らしながらあやしつつ
夕飯をなんとか作り終える。

ご飯を食べさせたら
子どもと一緒にお風呂に入る。

洗濯機を回して洗濯物を畳む。
翌日保育園に持っていくもの準備。

保育園のノートのメモを見て
私も子どもの自宅の様子を書き込む。

子どもは眠たいのか
ずっとグズグズしている。

そして
子どもを寝かしつけると同時に
私も寝落ちしてしまう…

少しすると
子どもの夜泣きで目が覚める。

しっかり睡眠がとれないまま
朝疲れた状態で目が覚める…。

そんな毎日。

日に日に大きくなっていくお腹に
比例して動きが鈍くなる私の体。
日に日に活発になっていく長男。

育児本よりも成長が早いよ!?
10ヶ月頃には歩き始めてるよ!?

母としての成長も追いつかず
日々のオペレーションもバタバタ。

育児は24時間営業。

「1人でもこんなに大変なのに
2人目が生まれて、仕事を続けられるの!?」

不安しかなかったです。

子どもは病気をして
しょっちゅう保育園を休む。
(月の半分休んだことも…)

次男が生まれてから、
想像通り更に大変に!

ほぼワンオペ育児ということもあり
体力的にも精神的にもきつくて

「これでは仕事続けるのは無理だ…
私の体力が持たないし、回らない…」

次男の育休中に会社を退職しました。

離婚してシングルマザーに

子どもたちが

小学校1年生と2年生のときに

離婚しました。

いろいろ事情があって
2月下旬に引越し。

子どもたちが転校した日の
翌日は卒業生を送る会。

子どもたちはステージで
卒業生に向けた歌を歌う
という時間があったのですが、
もちろん歌えず…

「もう転校するのは嫌だ」

何度も私に伝えてきました。
辛い思いをさせてしまいました。

離婚の1年前から社会復帰に向けて
保険会社の秘書のパートを始めました。

離婚当時は日系の証券会社で
グループ秘書の派遣社員に。

「今月もギリギリだ…」

シングルマザーになって
一番心配だったのが、お金でした。

親にも頼れないので、
自分で稼がないといけない。
奨学金の返済もある。

でも子どもたちが
まだ低学年だったので
残業の少ない仕事がいい。

派遣社員だったら定時で上がりやすいけど、
お給料は安い…グルグル考えていました。

当時はリーマンショックの影響で
仕事の募集自体も少なく
秘書系の正社員になるのは狭き門。

状況はすごく厳しかった。

子供たちがしたい習い事があっても、
お金のことを考えると、いいよと言えない。

「どうやって今月やりくりしていこう…」

そんなことばっかり考えて
電卓ばっかり叩いていました。

新卒で正社員採用となり、
転職した2社目も正社員。

次男が生まれた後に仕事を辞めましたが、

「一度社会を離れてから正社員になるって
こんなに難しいの!?」

って、本当にびっくりしました。

「こんなに難しいって知ってたら
出産後も、なんとか踏ん張って
正社員の仕事を続けていたのに!!」

だけどそんなこと
誰も教えてくれなかった。

正社員の現実とバーチャルアシスタントとの出会い

少しでもいい条件の仕事があれば
飛びつくように転職してきました。
少しでもお給料がいいところ、
正社員に近づけるところに。

そして
正社員になるのに丸々4年かかりました。

すごく嬉しかった!

派遣社員→契約社員→正社員になるにつれ
お給料は段々上がっていき
生活に余裕は出てきたものの

同時に

・子どもたちと一緒に過ごす時間
・自分の体力
・精神的な余裕

大切なものを失うことにもなった。

土日は子どもたちの
サッカーと野球の送り迎えや当番で
体も心も休めることができない。

365日ずっと走りっぱなしの状態で
常に体が疲れている状態でした。

疲労が蓄積してしまったのでしょう
朝からだるい日がずっと続く毎日。

「体がじんじんして、
なんかおかしいな…」
でも仕事行かなくちゃ…」

そんな日々。

子どもたちが学校へ行く前に家を出て
子どもたちが寝てから帰宅する日もある。

子どもたちの行動が
把握できない時もありました。

とても心配でした。

「私は何のために働いているんだろう…」

子どもたちの寝顔を見ながら
ひとりで泣いた夜もありました。

あるとき
次男が私にこう伝えてきました。

「学校から帰ってきたときに
お母さんがいたら、なんかいいな…」

何回か続けて私に伝えてきました。

次男は寂しかったんですよね…
私は胸が締め付けられる思いでした。

子供たちが学校から家に帰ってくるとき
私は家にいてあげたい!!

在宅で仕事ができる
フリーランス秘書になろう!!って
決めた理由のひとつが、これでした。

子供たちから
「お母さん、何時くらいに帰ってくる?」
って電話してくることもよくありました。

私が家に帰ってくる時間が分かると
外で待ってくれてる子供たち、そして隠れてて
「わっ!」と言って私を驚かせるんですよ。

私が帰ってくるのを
ずっと待ってたんですよね。

まだまだ小さかった子どもたちに
とても寂しい思いをさせました…。

正社員がいいと思って
正社員を目指したけど

そのときフリーランス秘書
という働き方を知っていたら

私は絶対に
フリーランス秘書を選びました。

選んでたら、大切なものを
失わなくて済んだかもしれない。

もっと早くフリーランス秘書
という働き方を知っていたら
本当に、人生変わってたな…
そう思います。

正社員よりも
自分で働き方を決められる
フリーランス秘書の方が
比較にならないくらい良かった。

でも当時は
この働き方を知らなかったから。

朝起きたら
「早く仕事が終わった
夕方にならないかな…」

一日の終わりが待ち遠しかった!
毎日毎日の生活が
本当に苦しくてしんどかった。

愛媛に住む母の遠距離介護が始まって、いよいよ私の心と体は限界に…

「いつの間に帰ってきたん?
帰ってくるなら言ってくれたらいいのに…」

ついさっき、駅まで迎えに来てくれた母が
実家のこたつの中にいる私たちにかけた言葉です。

私は、当時小学生の中学年だった
子どもたちと顔を見合わせました。

少し困惑した子どもたちの表情…
「さっき駅に迎えに来てくれたやん」

母に伝えても信じてくれず…このとき
母の認知症が始まったことを知りました。

母の面倒は私が見ないといけない
と幼い頃から思っていた私は、
どうしたらいいのかと心底悩みました。

ガスコンロの火をつけっぱなしにしないか
お風呂を焚いたままにしないか
道に迷って山の中に迷い込んでしまわないか…

いろいろと想像して
不安になったりもしました。

「松山南警察署ですが、お母さんから
娘さんとお孫さんが帰ってこないと
電話をかけてこられたのですが
いまどちらにいらっしゃいますか?」

私たちが東京に戻ったことを忘れてしまった母。

当時オフィスで秘書をしていた私のもとに
警察から電話がかかってきてびっくりしたことも。

東京に引越しすることは絶対に嫌だという母。

私と息子たちが愛媛に引越して戻ることも考えたけれど
仕事のことを考えると東京の方が選択肢が多い…。

私は一家の大黒柱だから
仕事は続けて稼がないといけない。

娘としては
施設で暮らしてくれた方が安心だけど
本人が嫌だという。

しょうがないので
私の当時の環境の中で
できる範囲内でのサポート
をすることにしました。

ある日、
母が転んで足を骨折しました。

手術と入院が必要になり
仕事を休んで愛媛に帰省。

退院後は一人暮らしが難しいから
施設に入った方が良いということで
施設を探すことになりました。

母の用事のため愛媛に帰ることが多くなり
そのため仕事を休まざるをえませんでした。

その頃はオフィス勤務のOLだっため、
有休を使ったり週末を使って帰省しました。

私が休むことで
他の秘書さんにしわ寄せがいくので、
それを申し訳なく思ったりもしました。

ワンオペ育児に家事
愛媛に住む認知症の母のサポート
一家の大黒柱としてフルタイムの仕事

責任を一人で背負ってきた私の心と体は
悲鳴をあげていました。

「これ以上は1mmも頑張れない…」

私の口から実際にこぼれた言葉です。

馬車馬のようにずっと働いてきて
プツンと頑張りの糸が切れたのでした。

自分の感情にフタをして
自分の感覚を押し殺して
ずっと我慢してきて
自分じゃない自分を生きてきて

「もう頑張るの疲れた…
もうこれ以上はほんとに無理…
もう限界…」

自分をとことん追い詰めてしまいました。

体力と忍耐力が人一倍あると自負している私
何があっても歯を食いしばって
弱音を吐かずに頑張って乗り越えてきた強い私

そんな私が

「もう限界だ…」

初めて弱音を吐いたのでした。

ひとりの人間が
物理的にできることには
限界があるんだな…。
その時、思い知りました。

体も心も疲れ果ててボロボロ
体力も気力も無くなっていき


「人はこうやって壊れていくんだな‥」

心の中でつぶやいていました。

「アメリカでは、20年前から秘書はフリーランスでやってるよ」

2018年3月、私は会社を辞めました。
次の転職先が決まってない状態での退職でした。

中学生2人を育てるシングルマザー
金銭的にも物理的にも親にも誰にも
頼れない、私が一家の大黒柱。

それでも辞めました。

「毎月の生活費どうしよう…」

不安はすごく大きかった。

でも、しばらくの間は
疲れきったボロボロの自分の心身を癒して
自分を取り戻すための時間が必要でした。

仕事はせずに貯金で食いつないでいくと決めて
まずは今までしたかったけどできなかったこと

”友人や知人に会って、
ランチやお茶をしながらお話をする”
これを毎日2ヶ月間続けました。

そんな中で一番多く聞かれたことが

「起業しないの?」

でした。

私は会社という組織に属して
歯車のひとつとして働くことが好きでした。

自信もなく自己肯定感も低かった私。

起業家やフリーランスの方々は雲の上の存在
私にはできないことだと思っていました。

シングルマザーで一家の大黒柱として
安定した収入を得る必要があります。

会社に勤めていると毎月きちんと
お給料をもらえる働き方は魅力的で
その安定を今まで選んできました。

というよりも、
自分には会社員以外の他の働き方の
選択肢がないと思っていました。

そんな中での
「起業しないの?」という問いでした。

しかも10人近くの人が聞いてくるので
全く考えてなかった道だけど

「そういう選択肢もありかな…」

ぼんやり自分の中にフリーランスという
一筋の道が選択肢に加わったのでした。

Screenshot

そして、ある日
大学の先輩とお茶をしていたときのこと。

この時の先輩の一言が、
私の人生を大きく変えるものとなりました。

「アメリカでは、20年前から秘書は
フリーランスでやってるよ。」

すごく衝撃的でした。

「えぇ??
秘書がフリーランスできるんですか??」

意味がさっぱり分からず
頭の中が少し混乱しました。

2018年当時、秘書というのは
会社に属して働くことが
当たり前だったからです。

日本ではまだまだ数少ない働き方ですが
フリーランサーが市民権を得ている欧米では
1990年代から”Virtual Assistant(バーチャルアシスタント)”
という職名で定着しているということを知りました。

そして
バーチャルアシスタントは

・通常のデスクワークを在宅で請け負い
インターネットや電話を使って
リモートで秘書業務の代行サービスを提供​

・リモートであらゆる業務を
代行してくれる委託スタッフのこと​

・フリーランスが主流で、
企業と業務委託契約を結ぶ​

ということが分かりました。

バーチャルアシスタントのことを調べていくと
アメリカの西海岸と東海岸のように
距離や時差があっても、バーチャルアシスタント
の仕事が成立していることが書いてありました。

つまり、オンラインで秘書をすることに
何の困難もないことが分かったのです。

「それなら、アメリカより狭い
日本でもできるはず!」

・もっと子供たちと一緒にいたい
・愛媛にいるお母さんのところに、
・誰にも気を遣わずに顔を見に行きたい
・時間や場所に捉われず仕事をしたい
・心と体の健康を保てる働き方がいい

私の望みがすべて叶えられる…!
体と心を保ちながら働くには、これしかない!

どん底を味わって暗闇の中にいた私の心に
一筋の光が、ぱーっと差し込んできました。

「だけど…
フリーランスで独立して契約は取れるのかな…
生活できるだけの報酬は得られるのかな…」

もうひとりの私が
耳元でささやいてきます。

未知の世界に飛び込むことへの
不安がふつふつと湧いてきました。

給料がゼロ円になる恐怖。

ロールモデルがいなくて
成功するかどうかも分からない
フリーランス秘書という働き方。

また会社員に戻った方が
経済的な面で子どもたちに迷惑
かけなくてすむんじゃない?

挑戦したい気持ちと裏腹に
新しい挑戦をストップさせる
もうひとりの私の声。

確かにな…
子どもたちにまた負担をかける
ことになるかもしれないな…。

振り出しに戻る。

でも、前のような働き方だと
また同じような状況になって
心身ともに疲弊してしまう。

体と心の健康を保つためには
フリーランス秘書に挑戦する
勇気が必要なんじゃない?

私の前向きな声。

「うまくいくかいかないかは
やってみないと分からないよね」
という周りの冷静なアドバイス。

ですよね…と
また及び腰になる私。

何度も行ったり来たり…
一歩を踏み出すことに
少し時間がかかりました。

だけど
「とりあえずやってみよう!」
が私の人生のモットー。

フリーランス秘書としての一歩を
踏み出すことにしたのです。

フリーランス秘書、誕生!

開業届を税務署に提出し、
さぁ、営業スタートです!

100枚以上の名刺を配ったと思います。
昔、一緒に働いていた方々…
異業種交流会で新しく出会った方々…
知り合い、友達など…たくさんの方々に
私の事業の説明を聞いていただきました。

泥臭く、営業しました。
営業なんて生まれて初めてです。
右も左も分かりません。

営業の大変さも分かりましたし
仕事を取ってくる難しさも分かりました。

契約まではいかなかったとしても
説明を聞いてくださるだけでも
本当にありがたいことなんだな…
ということも分かりました。

当時は営業経験ゼロからのスタートのため
試行錯誤をして、四苦八苦していました。

今は営業のコツも分かり、紹介できる
クライアントもいるので、受講生の方に
喜んでもらえてよかったです。

そして開業から3ヶ月後…

地道に蒔いてきた種から芽が生えました!

以前営業をさせていただいた方で
そのときは契約に至らなかったのですが
その方からのご紹介でした。

昔、一緒に働いていた方で
私の人となりや働きぶりを評価してくださり
ご紹介くださりました。

嬉し泣きしました!

頭の中で思い描いてきた
リモート対応のフリーランス秘書
という働き方が実った瞬間でした。

今までの契約先のすべて
ご紹介または昔一緒に働いていた方
からのお声がけでした。

契約したのは全部で6つでしたが
それ以外に10件以上、仕事の打診をいただきました。

ただ、業務量や業務の内容
すでに契約している先の
業務とのバランスなどを考えて
お断りをしてきました。

私が受けられない仕事の依頼は
基本的にオンライン秘書養成講座の受講生に
ご紹介させていただいています。

勤務時間は半分で前職時代の収入越え!

独立してから1年後
前職の月収を超えました。

勇気を出して、
この働き方に挑戦して
本当によかった!!

勤務時間は前職の約半分の
1日4.5時間くらいです。

好きな場所で働いて
好きな人たちと働いて
働く時間も減って
満員電車や人間関係の
ストレスから解放されて
報酬はそのまんま。

心の底から思いました。

朝はゆっくり起きて
ルームウェアに着替える。

顔を洗って日焼け止めを塗ったら
これで仕事前の準備は完了です。

メイクをする必要もなく
オフィス勤務のときにしていた
洋服のアイロンがけも不要。

パソコンでYoutubeを見ながら
ラジオ体操と軽いエクササイズをして

自宅キッチンでゆっくりチャイを入れて
好きなアロマを焚いてデスクに向かう…。

そして、iPadでApple Musicの
鳥のさえずりや川のせせらぎ音を流し

ゆったりとした気持ちで
自分のペースで
仕事をスタートさせます。

窓に向かってデスクがあるので
仕事中、目の前に広がる青い空。

本当に心地よい仕事環境です。

オフィス勤務をしているときは…

朝は「早く!早く!」が基本姿勢
バッタバタのバッタバタ!でした。

子供たちの朝ごはん。
給食のない夏休み・冬休み・春休みはお弁当。
残業することが分かっていたら夜ごはん。

朝に三食分!二人分!
作ってたんですよね。

ごはんの用意のほかに
自分のメイクや身支度、
洗濯物を干す、
学校からのお便りを読んで
必要な準備をする。

朝はとんでもない忙しさでした。

朝の家事が終わったら、家を出発。

「うわぁぁ…今日もすごい満員…
でもどうにかこれに乗り込まないと
会社に遅刻しちゃう…」

すでに満員でホームに到着する電車に
上手にするりと無理やり入っていく。

そしてホームにいる駅員さんが
私がドアに挟まれないように
電車の中に押し込んでくれる。

そしてドアが閉まる。

「とりあえず乗れた…」
とほっとする。

窒息しそうなくらい
ぎゅうぎゅう詰めの満員電車で出社し
会社に着く前からすでに疲れていました。

「この生活がいつまで続くんだろ…
いつまで私の体力が持つのかな…」

毎日そう思っていました。

出社後は、即座に仕事スタート。
そして退社までフル稼働。

体力には自信がある方ですが、
そういう働き方は、もうできないなぁ。

バーチャルアシスタントになるメリット

通勤不要

→ 満員電車に乗るストレスからの解放
→ 時間のセーブ

家事、育児、介護との両立がしやすい

→ 家庭の事情に合わせた柔軟な働き方で、
ワークライフバランスが保てる家族との時間が増える→ 子供が帰宅するとき家にいてあげられる
→ 子供の宿題も見てあげられる
→ 子供の様子を把握することができる

目の前の仕事に集中できる

→ オフィスにいると様々な邪魔が入りますが、
邪魔の入らない環境で作業が捗る

人間関係のストレスが少ない

→ 対面によるやり取りがないため、
人付き合いのわずらわしさや、
人間関係の圧力から解放される

時間の融通がきく

→ 仕事の途中に家事や用事を済ませることが可能

場所に縛られない

→ 家族の事情で遠方へ引っ越ししたとしても、
仕事を諦めなくてよい
→ 実家に帰省したとき、旅行へ行った先でも、
インターネット環境さえあれば作業ができる

収入の柱を複数持てる

→ 複数の契約を持って仕事ができるので、
一つの契約が終了しても収入がゼロになることがない

方向性を自分で決められる

→ やりたいこと、やりたくないこと、
働く時間や場所も自分で決めることができます

自分の頑張りが収入につながる

→ 会社員は頑張っても給料が決まっていますが、
この働き方は、報酬額を自分で決められます

働く時間をコントロールできる

→ クライアントとの納期を守りさえすれば、
時間のコントロールは自分次第

乳がん発覚からのオンライン秘書養成講座スタート~夢のCAに

フリーランス秘書としての
仕事が軌道に乗り始めた矢先のこと。

思いがけず、
乳がんの診断を受けました。

その時の衝撃は、
今でも昨日のことのように覚えています。

「子供たちは・・・
仕事は・・・
生活は・・・
どうなるんだろう。」

結論から言って

フリーランス秘書
という働き方をしていたので
仕事を辞めずに通院できました。

病気になるという経験をして
「人生には限りがある」
ということを知りました。

そして余計に
自分の挑戦したいことは
全部挑戦したい。

女性たちにも
自分のやりたいことは
全部叶えてほしい。

心から思いました。

フリーランス秘書という
働き方に出会う前と後の私の人生は
地獄と天国くらいの差があります。

フリーランス秘書という働き方は
壊れる寸前だった私の心と体を
正常に戻して整えてくれました。

そして

無理しすぎない我慢しすぎない
自分らしく楽に生きられる自分。

幸せを感じている自分に
出会うことができました。

本音を言えば
子供たちが小学校低学年の頃から
出会いたかった働き方です。

自分には無理かも…と思っていた
フリーランスという働き方に挑戦
したことで、自信もつきました。

気付いたら
劣等感も自己肯定感の低さも
無くなっていました。

それは、自分らしく生きていく
ことができるようになったから
だと思っています。

フリーランス秘書という
働き方に出会ったおかげです。

フリーランス秘書として
独立するときに掲げた以下のミッション:

女性が「結婚・出産・育児・介護・
家庭の事情(夫の転勤等)」に直面した時、
リモートワークの選択により
仕事を諦めなくてもよい社会を目指します。

を軸に置いて仕事をしてきて
この働き方は実現する
叶うということを経験してきました。

私がこの働き方に助けられたように
この働き方を必要としている人が
いるんじゃないかな?
届けたい!という想いが湧き

「オンライン秘書養成講座」
を開講することにしました。

女性がライフイベントに直面したときに
自分の心と体の健康を保ちながら
仕事を諦めなくてもいいことを知ってほしい。

「オンライン秘書養成講座」を通して
出産・育児・介護・様々な家庭の事情を抱える女性に
「自分軸」を大切にできる働き方を提案し
全力でサポートしていきます。

私は子どものころから
ひとりでなんでも抱え込んで無理しがち
自己肯定感も低くて劣等感も抱えていて
どうせ私には無理と思って生きてきました。

でも、今までの経験を通して
やりたいことは全部できることが分かりました。

やりたいことを実現する働き方がある
ということを伝えたくて講座をやっています。

話が変わりますが…、
育児のために一度は諦めたCAへの挑戦。

子供たちが成人して手が離れ
余裕ができたので再度挑戦してみよう!
という情熱が湧き上がりました。

CA未経験であることと年齢が40代後半
だということは横に置いといて…
とりあえず挑戦してみよう!と思い立ち

応募しては落ち…応募しては落ち…
を繰り返していましたが
1社から奇跡的に内定をいただき、
現在CAとして乗務しています。

無理だと思っていても
やってみないと分からない!
諦めずに挑戦することで
道が開くこともあるのです。

「女性の生き方をサポートしたい」
これは、私の心の奥底から湧いてくる
熱い熱い想いで、ライフワークです。

一生続けたいことです。

CAの仕事はしていますが
「オンライン秘書養成講座」を通じて
サポートは続けます。

女性一人一人が自分の人生を諦めない社会。
育児も、介護も、家事も、そしてキャリアも
全部手放さずに、やりたいことが全部できる
人生を歩むことができる。

お手伝いがしたいのです。

私がフリーランス秘書の経験ゼロから
試行錯誤して作り上げた基盤を
ノウハウとして講座にまとめました。

自分らしく働きたい方の背中を押す
バイブルになってくれたら
そんな嬉しいことはありません。

あなたの人生が
変わるきっかけになることを願っています。

フリーランス秘書(オンライン秘書)の全体像が学べる電子書籍を公開中

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『一人っ子で育って、
シングルマザーの私が
育児も介護もキャリアも手放さずに
思いっきりできたバーチャルアシスタント
という働き方』PDF

をプレゼントしています。

無料なので、興味がある人は
是非登録してみてください。

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  1. ※オンライン秘書とは、基本的にオンラインで企業や個人事業主のクライアントのサポートをします。
    会社員の秘書のようにフルで稼働するのではなく、クライアントの要望に合わせて業務を行います。
    また複数のクライアントを持つことが可能です。 ↩︎